駄犬、家を買う

一度人生投げた俺が居場所を手に入れるまでの話

『逃亡者』

やる事はやるし、やる時はやる。
だが、ずっと。遠くに消えてしまいたいと、心のどこかで思っていた。

劇場から逃亡した話をしようと思う。
思えば、劇場より逃亡する前からどこかに逃げてしまいたい気持ちはずっと持っていたのかもしれない。
実家には帰れない。
行くあてはない。
じゃあ、どこに行こう。

まだ俺が、自衛隊の新隊員教育を受けていた頃、訓練のため駐屯地内を走り回っていたわけだが。毎日そこそこ厳しい訓練が待ち受けているため、脱柵(脱走)を考える者がしばしばいたのを覚えている。俺もその一人だ。罠線の張られた柵を見ながら銃を持ってひたすら走っている間に、どこの柵からなら逃げられそうかよく考えた。ここの柵なら地面を掘って進めば逃げられるだろうか?あっちの柵はどうだろう?この垣根のあたりからなら…。警備の目をかいくぐって、どこに逃れようか。そんな冗談を同期と話したのを覚えている。
 基本的に、隊員が駐屯地から脱柵するのはおすすめしない。どんなにひどい状況にあってもおすすめしない。脱柵すると、もちろん捜索される。どこに逃げても構わないが、見つかればその捜索にかかった費用は個人に請求されるらしい。まぁ、普通に大変なことになる。部隊にも居づらくなるしな。脱柵はおすすめしない。

 そんなことを、考えていた期間があるからか、俺は劇場からの逃亡をとても簡単なことだととらえていた。
 一社会人としてもちろんいけない事なのだが。逃亡を決めた日、お客の入らない広い駐車場で丸一日、呼び込みをして、誰も来なくて、虚しい気持ちになって。とにかく、心は折れていた。
 まず、罠線のある柵を越える必要がない。劇場側に大規模な捜索能力はない。追手はいないし、警備もいない。おまけに、俺の私物は段ボール一つとボストンバックが一個だけ。東京まで行く金はある。幸か不幸か、逃亡が頭をよぎった次の日は久々の休みだった。
 夜のうちに、手書きの退職届を準備。劇場でお借りしたものなどを、机にすべて並べて、退職届を置いた。翌日、朝に東京方面の不動産屋に連絡し、どこでもいいから部屋を貸してほしいという旨を伝えた。交渉がうまく進んで、段ボール一個分の荷物は不動産屋の事務所にいったん預けられることになった。俺はボストンバックと段ボールを担いで寮を出た。部屋を契約するために数日かかるのは覚悟していたので、野宿の覚悟はある程度していった。段ボールを送り、役所の手続き等を済ませて、その地を去った。紛れもなく計画的犯行だ。必要なことは大体頭の中に入っていた。俺の逃亡は滞りなく終わった。

 東京について、最初にしたのは髪を切り、色を染めることだった。誰にも見つからないように。

その後は、駅のシャッターの前で眠りこけたり、どうしてもシャワーを浴びる時だけネットカフェに滞在した。
新居がトントンと決まったので、4日ぐらいで済んだのだが。数日、こういう生活をしている間に、ちゃんと話を付けてから普通に辞めればよかったんだよなぁと思いなおし、ちゃんとお菓子をもって会社に謝りに行った。謝れば済むって話ではないが、少し気持ちは楽になった。
 
 こうやって、後から謝りに行くなら、最初からやらないのが一番だ。
俺のやったことは社会人としては本当に最悪だ。だが、この日に逃げていなければそのままずるずる底にいて、心が満たされた今はきっと存在しないだろう。だから、俺は後悔していない。

 逃亡する前に、少し考えてみよう。本当に仕事を辞めたいのか。どれぐらいで辞めることができそうか。上司は話を聞いてくれそうか。考えてみよう。
 ただ、もしも。考える暇がない時は。あなたの命が脅かされそうになっている時は。一度ぐらい逃げたって、人生は何とかなるもんだ。あきらめないで。死ぬぐらいなら、逃げてしまえ。