駄犬、家を買う

一度人生投げた俺が居場所を手に入れるまでの話

『永遠と一日』を聴いて考えたこと

※この記事は、歌詞の本来の意味や、作者さんがどう考えて作ったかなど。ガン無視で、自分が聴いて考えたことの話をしているので、最初にそこの所をご了承ください。

きいたことが無い方は、是非一度聞いてみてほしい。

まず初めに”永遠を君は笑った”と出てくる。
そしてすぐに”永遠は君を攫った”と出てくる。
もう、最初の曲調からして俺少し泣きそうなのに、『あぁ、これ亡くなった奴じゃんかぁぁぁぁ』もう、ここですでに泣かせにかかってくる。不思議なのは、おそらくは愛する人が亡くなったであろう唄なのに。全く絶望していないところなのだ。俺だったら、後を追うんや!君と同じ所に今すぐ行くんだ!って、絶対なると思うんすよ。おそらく。
 じゃあ、この明るい感じって何だろう?って、ここ数日ずっと考えていたんですね。何回も繰り返し聞きいた。
 ”永遠は君を攫った”っていう歌詞の後に、”でも行く先はもう決めた”っていう歌詞が来るんだよな。これで言うところの自分ってのは、悲しんでいないわけじゃないんだけれども。悲しみに暮れてその場所から動かないことは、何にも生み出さない。悲しみだけが募っていくのだと、知っている人なんだなぁなんて考えた。
 人間はいつしか朽ちて、みんな同じ場所に行くわけですが。俺は、この”行く先はもう決めた”っていうのに、意志を感じたんだよな。生きていく意志といいますか。その、行く先にたどり着くまでの道のりを、全うするという決意を、感じる気がする。勝手な解釈ですが。

 ”魚で溢れた日々の 後先 振り返るな 君をえがいた"と、後に続くんですが。これがまた泣けてくる。魚で溢れた日々ってなんだ?って、考えたときにルノルマンカードの解釈がピタッとはまりまして。ルノルマンだと『魚』=『豊かさ、価値』などを表すらしいんだ。俺の解釈だと『魚で溢れた日々』=『君と過ごした豊かさで溢れた日々』になるんすよね。んで、『後先振り返るな』で、その日々を振り返って立ち止まるなって自分に言い聞かせながら、『君をえがいた』だから、きっとここで過去の思い出に浸って立ち止まるよりも、過去の思い出を胸にまた君に会えることを思って進んでいくよって、この人は思ってるんじゃねぇかな。なんて結論に至った。

勝手な解釈をしているわけだけれども。
もう、切なくなって泣いた。
更に言えば、”永遠を君を笑った 行く先を指さして”とあるので。君も永遠に攫われてしまうことを悟っていたのかなと思った。死が怖くないといったら、少々小難しい話になってしまうかもしれないが、君というのが死というものを、『怖くない、少しの間生きる場所が違うから会えなくなるけれど、あなたがこっちに来る”その時”がきたら、会えるもの』と解釈しているのなら、永遠を君は笑うかもしれないなぁと腑に落ちたのだ。

以上、全ては俺の妄想なのだが。この妄想を俺にさせるこの曲って素晴らしくない?!と、そういいたい。

んで、ここにたどり着く過程で色々と気が付いたことがあるんだけれども。

歌詞の中で『死』とか『悲しみ』とか『希望』とか『豊かさ』だとか、どれ一つとしてダイレクトに言っていることってないんだよな。そこから、ああ。愛って言葉要らねぇのかなぁって思った自分がいた。言葉の要らない愛には、ある程度の信頼関係が必要だと思うんだが。信頼を築くためには、ゆっくりと一緒に歩んでいく時間が必要なわけで、ああ、だから船か。となる。俺は、確かめないと不安っていうのに、今まですごく囚われていた。今の好きな子に出会って、それが変わりつつある。んで、曲を聴いて。ああ、俺はこれになりたいんだと思った。

好きな子とどうなりたいかっていったら、きっとこういう関係だ。
信頼しあっているから、きっと愛をわざわざ確かめたり、不安になったりする必要がないんじゃないかな。
そういう関係になれるのであれば、それはとても心満たされることだよな。とても幸せなことだな。そう思った。
信じているからこそ、今日も一日自分の事を頑張ろうと、いまはすごく思うんだ。
大好きだから、『好き』は言葉にしがちだが;

 不安に駆られて、また相手を傷つけそうになった時は、こうやってまた音楽を聴いたりして、こう思ったこと、こう考えたことを思い出せるといい。自分の好きな子が、俺をぽい捨てするような子じゃないことを思い出すきっかけになればいいなと思ったり。

 っとまあ、勝手に妄想して。勝手に結論がでた。それだけの話なんだけれど。とてもいい曲なので、是非聞いてほしい。お勧めする。