駄犬、家を買う

一度人生投げた俺が居場所を手に入れるまでの話

愛することは素敵なことばかりではないが、悪いことばかりでもない

 誰かを愛するということは、素敵な事ばかりではないけど、悪いことばかりでもない。そんな話をする。
ただのボヤキだ。苦手な人は見ないことをお勧めする。

 現実というのは厳しいことばかりだ。愛する人との甘ったるい幸せな日々なんて皆無だ。そんなもの、アニメや漫画、恋愛小説の中だけの空想だ。俺にとってはな。もちろん例外もあるだろう。

 正直、寂しいし悲しい。なんでこうも愛されないのだろうか…と、病む瞬間ももちろん存在している。だって、人間だもの。わかるよ。虚しいさ。こういう時。悲しいんだよ。うん。
 どんなに考え方を変えても、どんなに視野を広げても。こうやって、卑屈になったり勝手に悲しくなったりそういう部分は緩和されてもずっとついてまわるんだ。厄介なことに。

 こういう思考に陥ったっていい。だって、考え方の癖は簡単には変わらん。一瞬は、病んだって構わない。ただ、負のループに身を任せてはいけない。きっと、それをそらすことはできると思うのだ。

 こういう時にとる行動はただ一つ。自分が本当に求めているものは何かを突き詰めるのに時間を使う。考えすぎるなら、考えすぎればいいというところで。こういう方法をとる時もある。

 君が本当に求めることって何ですか?

ここで、妄想力が発揮される。
自分が本当に求めているのは、営業中な相手なのか、完全オフの相手なのか。もち、完全オフの相手だ。そうしたら、どうだい?しょうがなくない?相手、今、忙しいんだよ!おそらく。疲れたぁ、もう無理!って、疲れたときに頼ってもらえるのが本当の理想なわけだよ。ついでに言えば、本当に疲れている時は俺につかれたっていう元気もないかもしれないわけだよ。甘えたいんじゃなくて、甘やかしたいんよ。それを考えると、構ってほしいっていうのはなんか違う。理想と違う行動をとることになる。甘やかすってのは、自分のタイミングでするもんじゃなくて、相手が頼ってくれたタイミングでぶちかますものなのだ。相手が欲しいタイミングで惜しみなく提供するべきだ。

 相手をどう愛したいんだ俺は?そう考えたときに、見返りを求めない愛となる。この、見返りを求めない愛ってなにかって、文字通り見返りを求めちゃいけないんだよ。見返りってなにかって?わかるだろ?相手に愛されたいっていう感情も、おそらく立派な見返りなんだ。○○されたい、○○してほしい。自分はこれだけあなたを愛しているのだから、愛してほしい。ってのは、立派に相手に見返りを求めている状態になる。
 見返りを求めない愛というのは、たとへ相手が俺を愛さなかったとしても、たとへ恋が実らなかったとしても。本当に、何にも自分に返ってくる事は何もなかったとしても。いつでも相手の幸せを、相手が一瞬一瞬を意味があるように生きられることを願っていて。相手のためなら、自分のできうる限りを、相手のタイミングで差し出せるように、粛々とただただ準備をすることなんだなぁと最近特に感じるのだ。

だから、誰かを愛することは、素敵な事ばかりではないよ。

 こういう葛藤を繰り返している。結ばれて仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたしという未来への確信はない。素敵な事ばかりでなないかもしれない、それでも悪いことばかりでもない。相手が生き生きと今日を生きていることに感謝の念を抱くし、俺はそれがわかれば幸せだ。稀に来るたまに葛藤が邪魔をするが、自分が本当はどうしたいのかということを苦しむたびに思い出す。それが大事だ。

 俺は、相手を愛するということに誠実に向き合いたいと考える。

 愛することは、楽しく苦しむことなのかもしれない。

 難しいが、苦しいことも楽しむんだ。例え、1%の甘さしかなくても、それを妄想で最大限に膨らませて、俺は楽しく生きていきたい。