駄犬、家を買う

一度人生投げた俺が居場所を手に入れるまでの話

酒のみすぎて台車で運ばれた話

自分が飲める酒の量は知っておいた方がいい。酒もそうだが、日常生活においても言えることだ。
多少無理しなければならないことも、世の中にはあるかもしれないが。
自分の限界は知っておいた方がいいことが多い。酒の量。仕事の量。睡眠の量…。
限界を知って、次は気を付けようと思えるならそれはもう一歩前進していると思うんだ。

何歳頃かは伏せておくが、駅前で酒を飲み歩いていた時期がある。夕方から深夜にかけて、店を変え、酒を変えては飲み歩いていた時期がある。酒が好きだったかというとそういうわけではない。ただ飲めたから飲んでいた。まだ若かったし、体力もあったし量も飲めたし。全然眠くならんし。とにかく、酒を浴びるように飲んでいた。

職場の飲み会での話だ。言わずもがな、職場の飲み会は飲み放題で毎度ピッチャーラッシュパーティー。下っ端の俺たちは、基本的には、先輩らが残した酒をがぶ飲みしながら、酔った上司の話し相手をして、グラスがあくと酒の注文を厨房にしに行くのが恒例。というか、俺らの仕事だった。一次会、二次会、三次会。この時は、まだビールが飲めた。この時代に、ぬるい瓶ビールを飲みすぎて、ビールが苦手になってしまったので、今は滅多に飲まない。
男が多い職場だったんで、三次会は近所のスナックに行くのが恒例だった。俺は、お姉さんたちにそこそこよくかわいがってもらったので、これはいい思い出だ。
 一次会で、瓶ビール三本。他、残ったピッチャーの中のビールを飲み。他にも、甘い酒を何杯か飲んでいたので、三次が終わるころには、もう何杯飲んだかわからないほどべろんべろんになっていた。足元がふらつくし、吐き気はするし、もう飲みすぎないと心に誓った。傍から見たら、やばい酔っ払いだ。
 動けなくなった俺は、荷物を運ぶ台車に乗せられて寮まで運ばれた。
 うん、こんなに恥ずかしい思いは二度としたくねぇ。俺は、台車の上で揺れとかすかな風を感じながら強くそう思った。次の日、初めての二日酔いを経験することになる。
 頭がガンガン、吐き気がとまらず苦しんだ俺。
 以後、飲み歩きは食べ歩き中心に変わり、飲み会でも飲める量をちゃんと考えるようになった。

 失敗する前になんで辞めておかないのか。アホじゃねぇの?と思うかもしれない。
 だが、人間は失敗しないと学ばない本当の意味で学ばない生き物ではなかろうか?と思う。自分が失敗していないのに、誰かの失敗したからやめとけという話を真面目に聞いて活かせる者がどれぐらいいるだろう。
 人間は、実際に体感しないと理解できない生き物だと思う。寄り添うことはできる。想像することはできる。でも、同じ苦しみ、失敗、怒り、悲しみ。誰かのそれを、本当の意味で理解することはできないから。大事な人が苦しい時に、ただそこにいてあなたが安心するように、俺の心を整えておかないといけないと思うのだ。大きくて太い木を目指したい。あの子が疲れている時に、いつでも寄りかかれるように。どんな強風にも負けない。俺は大きく太い木になりたい。