駄犬、家を買う

一度人生投げた俺が居場所を手に入れるまでの話

宗教勧誘に連れていかれてみた話

 俺が工事現場の警備員として働いていた頃の話。7年前ぐらいかな。
 この時期の俺は、とにかく色々あって金が必要で、なんだかがむしゃらに働いていた。夜勤・日勤・夜勤で昼休んで夜勤ってのを、繰り返していて。寝て起きて、冷凍してある何かを食べて。一日と半分時々仮眠取りながら働いて、1Kのアパートに帰って、シャワー浴びて泥みたいに寝て。起きて、飯くって、また仕事して…。それ以外に何かをしようと思う心の余裕はなかった。
 金が必要になった理由は、時がきたらまた話そうと思う。

 その日はたまたま一日休みで、その前の仕事で帰宅してからずっとベッドの上にいた。寝たり起きたりしていたんだけど、飯もなんだかめんどくさくてずっとそこにいた。朝日が昇ったのを見た。
ずっと開けないカーテンの隙間から、日が俺を刺していた。ぼんやりとただそこにいて。次、カーテンの隙間を見たときは、日が沈みかけて焼けるような空の色になっていた。もうすぐ夜がやってくる。あぁ、この夜が過ぎたら、また仕事か。始発の電車で現場に向かわなければならない。俺の家から現場までは、よくて一時間。長くて3時間以上かかった。だから、朝早く出る。普通に憂鬱だった。あぁ、仕事行きたくねぇ。ただ、そればかり考えていた。警備員と言っても、規制を張る部署にいたので、体力仕事だった。Aバリを4~6枚担いで、ひたすら運んで設置したり。まぁ、とにかく資材を運搬して設置からの警備・撤収が俺らの仕事だった。力仕事はそこそこ得意なので、そこに不満はないのだが、毎回メンバーが入れ替わるので、それがさらに憂鬱だった。

 この時点で、言えることは。朝起きて、昼活動し、夜寝る。飯をしっかり食べること。昼間に日の光を浴びるというのは、人間には必要なことだということ。でないと、どんどん無気力に落ちて行く。

 残りの時間をどう過ごすか。もう、時間まで寝てしまおう。そう思って、また布団をかぶった。その時。

ピーンポーン

 玄関のチャイムが盛大になった。俺を訪ねてくる人間なんて近所にいない。では、荷物だろうか?玄関まで行きたくなかったけど、致し方なく布団から出た。
 滅多に俺の部屋に来る人なんていないから。宅急便か郵便さんだろうと、恐る恐るいきなりドアを開けた。

 ドアを開けると、親世代の女性四人組が立っていた。
 あぁ、これは少し面倒くさいことになりそうだ…。と、思いながら、どうか穏便にお帰りいただこうと最初は思っていた。
 話してみると、宗教の勧誘をしに来たようだった。うん。思った通りだ。2人組などは見たことがあるが、4人は多くないか?話しているうちに、彼女らは玄関ぎりぎりまで俺を追いつめた。ふと、4人とも親世代であることが気になった。どういう方が、入信されるのだろうか?どのようにして、その教えとやらを信じ込んでしまうのか。とても気になった。とっても身近なことだよね。俺の親世代が、4人も入信している事実が目の前にあるんだもの。しかも、世間話していると本当にそんな影も感じられない、普通の奥様方なんだよ。
 あんまり関わりの無い親戚なんだが、そういうのに入っていてよくない噂をよく聞いていたので、少し偏見の目で見てしまっていた部分がある。何を信じるかなんて、みんな違う。当たり前に、彼女らも同じ人なんだよなぁ。っと、そこで、少し考えが改まった。偏見は良くないよね。どの団体に属しているかで、その人の人間性まで決まるわけじゃないんだから。
 
 結論として、俺は彼女らについていくことになった。

 少し歩いたところにある、ホームセンターの駐車場に止めてある彼女らの車にお邪魔して。隣の市まで、同行した。一応書いておくけど、よい子は真似しちゃいけない。たまたま、俺が会った人たちが普通にいいひと達だっただけ。戻ってこれなくなる可能性もあるだろう。やっちゃだめだぞ。

 俺が住んでいるとこの隣の市に、ご本尊があるから行きましょう!ということで、着いた場所は、とあるアパートの一室だった。俺や、彼女らの他に、子供や、若い女性、母世代の女性が多かった。部屋の中に仏壇のようなものがあった。おそらく彼女らの言うご本尊。その周りに座布団が沢山敷かれている。その中の代表が一番前に座って。俺は、後ろの恥の方に『どうぞ』と言われた。座布団に座ると、数珠のようなものと唱える言葉の書かれた冊子を渡される。あとは、ご想像の通り、みんなでご本尊に向かって拝んだ。
 
 ひとしきり、儀式が終わって思ったんだけど。
 こういう団体も、人間の集まりなんだよな。信じる神様とか、そういうの抜きで考えると、ただの普通にいい人たちの集まりなんだよな。例えば、身近な人(家族・師・恋人・友人)がそれを信じたらいいことがあったよって言ったら、素直に信じて『じゃあ、一緒にやってみようかな』って言えるぐらいのピュアな人間。もしくは、生まれたころから”それ”が生活の一部になっている人が多いのかなと感じた。
 ピュアな人間だから余計に、誰かに”いいこと”をお勧めしようとする。つまるところ勧誘。きっと彼らに誰かを貶めようという気持ちはないのだ。自分がいいと思うものを、ただただ勧めてまわっているだけなのかかもしれないなっと感じた。信じるものは違えど、人間性を否定してはいけないよなと、再度反省した。

 帰りに、数珠と冊子はお持ち帰りに。そして、持っているお守りとか違う教えの産物はすべて処分するようにとお達しをうける。うん。俺をちゃんと元の場所まで送り返してくれたので、人間性は否定しないが。同じ教えの下に生きることはできなそうだ、悪いな。なんて思いながら、俺は帰宅した。

 宗教的団体や、怪しげなサークルに入っているからといってその人の人間性を頭ごなしに否定することはしないが、何を信じるかは個人の自由なので俺はあなたの神は信じませぬ。というのを貫いていこうと思った。

 そもそも、宗教が悪いわけでもないんだよな。その人が、それを信じることによって幸せを得ているのならば、それは立派神なんだと思う。教えだって、学ぶべきことも多かったりする。

 神がいるかはわからない。俺にとっては、考え方を180度変えてくれたハニーが神みたいなもんだ。俺は彼女を信じている。おかげで俺は、俺のことも信じ始めている。俺の神は、ハニーと俺自身だ。

 あんまりうまくまとまらないが、お互いの人間性を頭ごなしに否定することはせず、お互いの信じるモノを信じるという、しっかりした意志を持ちたい。そして、どんな教えもいいところは取り入れて、悪いところは考え直していくことが必要なんだ。よくないと思う教えなのに、信者は従わなければならないというのは、間違っている。
 これはすべてに言えることは、自分で考えて、いいものは取り入れて悪いものは考えなおしていくという基本を、どの団体に所属しても、何を信じていたとしても忘れてはいけないということだ。

 個人的には、救ってくれるかわからない神を信じるならば、唯一自分を救える可能性がある自分を信じてやってほしいと思う。

 お互いの神に干渉しあわなければ、争うことも少なくなるんだろうなぁ…と思うが、理想通りにはいかないのが世の常だな。